Sorry,Japanese only
Last Update 19990121

愛ってなに?

疑似愛

 これは、私が1998年の12月に研究室の自分の机に掲げたテーマです。
 年末に実家に帰った私は、どういうわけだかこの言葉を口にしてしまいました。余談ですが、B4の頃は「やりて〜」というのが口癖だったので、この時も実家でこの言葉を言ってしまいました。そのとき、姉に「あんた、そんなことばかり考えてんの?」とエテ公呼ばわりされちゃったという経験があります。まあ、そんなことはどうでもいいんです。「愛なんて全部<疑似>だ」という私の発言をきいた母が、何を言うかと思いきや

「愛なんて、あるわけないじゃん」

っていったんです。おいおい、それじゃなにか、私は父と母の欲望の産物ということか?こんな家じゃあ、まあ、子供もグレて(?)家によりつかなくなるわな。

 ところで、私は、愛なんていうものは相対的に見たとすると存在が確認できないものなんだと考えています。つまり、Aという系があって、その系を外部から眺めたとき、愛というモノ、行動はすべて疑似に見えるというものです。A内部で勝手に盛り上がっていても、外部の人から見たら、愛?愛?愛?真実の愛?なんだそりゃ?となるわけなんですね。でも、まあ、A内部のひとは、「これは真実の愛だ」と盛り上がっているわけなんですから、きっとA内部では、愛は存在しているのでしょう。まあ、当人たちは、愛が冷めやまぬまで勝手に盛り上がっていてくださいな。ごちそうさま。というカンジです。

 そこのあなた、私がかなりひねくれていると思っているでしょう。いいところに気づきましたね。うーん、そのとおりだと思います。きっと私はひねくれている。
 でもですよ。絶対なんて存在しない(だから、「きっと」私はひねくれている、なんです)。物理量だって基準値を決めてそれに対する値を計測して、「相対値」を得ているんだと考えるとどうでしょう。物事を全部相対的に、客観的に眺めて、それでも真実の愛ってあるんでしょうか? あるとしたら、きっとそれは、男女の情なんてものじゃない、もっと高尚なものだと思うんですね、私は。そこらへんのやつらが勝手に盛り上がっている、ドラマのなかで描かれる愛なんて、唯の愛情だと思うんですよ。そう、情の一種なんです。あんなの真実の愛じゃない。疑似だ!疑似! まあ、唯の情であったものに愛がくっついちゃって愛情になる.....情から愛情へのmetamorphoseが往々にしてあるもんだから、みんなその情(愛情)が「真実の愛」だと勘違いしているだけだと思うんですよ。

 きっと私は、自分が真実の愛というものに遭遇したことがないからこんなふうに考えるのかもしれません。「真実の愛」が観察できるものなら、見てみたいものです。
こんなふうに考えていたんですが、先日、当研究室のO越君が

偽善でも善は善

という発言をしたため、私はちょっと再考してしまいました。つまり、

疑似でも愛は愛

なんでしょうか?たしかにアセンブリ言語の疑似命令も命令だといえば命令ですからね(プロセッサに対する命令か?アセンブラに対する命令か?の違いはありますが)。う〜ん....となると、

ストーキングも愛のうち

となってしまったりしないのだろうか???
 う〜ん.....むずかしい。似非文化人類学専攻、かわたの愛への探求は果てしなく続く

...かわたのつぶやき


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