生物進化は偶然か?
なんだか,難しそうなタイトルですが,このことについての私の考えは,「生物進化は偶然ではない」というものです.
以前,同期入社の友人と,このテーマについて話しをしたことがあります.そのとき友人は「生物進化は偶然である」という立場をとりました.
彼は,あんまりアカデミックな議論が好きなタイプではなさそうなので,この話題はここまでにしましたが,やっぱり私の中では,煮え切らないものがあるのです.生物進化は本当に偶然の為せる業なのでしょうか?
いろいろ,私なりに考えもしたのですが,彼の考えと私の考えが行き違うのは「偶然」の定義が異なるためだと思いました.ここで,私の立場を言わせてもらいます.
つまり,一見「偶然」と思えることは私たちの感覚が許す範囲内での予測が困難(あるいは不可能)なだけで,決して偶然ではないと思うのです.私たちの感覚が許す範囲内での予測が可能な現象とは何でしょうか? これは,もっとも単純な例で言わせてもらうと古典力学(ニュートン力学)の範囲であると思います.私たちの感覚は古典力学で記述できる範囲内の現象についてはなかなかすばらしい直感をはたらかせます.
境界条件を変化させるものは何か? と聞かれれば,それは日々の行動,すなわち動きであると考えます.
生物のなかに動きが生じ,かつそれが外界に作用することで外部の動きの境界条件をも変化させた結果が「偶然」であると考えています.
これって,なんだか
私が,「すべてが偶然で,その中で淘汰が起こってたまたま環境に適合できたものだけが生き残るというのなら,ミトコンドリアの共生なんかも,すべて偶然なのか?」と伺くと,やはり「偶然だ」と答えます.私が,「共生が生じるには両者の間に何らかの親和性が生じなければ決してありえない.その親和性についてはどう考えるんだ?」と聞くと,親和性が生じたのも,すべて「偶然」だと言います.
私が明日,交通事故で死んだとします.そのとき事故を起こしたのは偶然か?と聞かれれば,死人に口無しではありますが,私は「偶然ではない」と答えるでしょう.また,近い将来,私が友人と町でばったり出会ったとします.それは偶然か?と聞かれれば,これも「偶然ではない」と答えるでしょう.
しかし,古典力学には必ず初期条件が必要ですし,境界条件も存在します.世の中の現象が古典力学で記述できるとしても,この境界条件が頻繁に変化しているとしたらどうでしょうか? とたんに私たちはその現象を直感として予測することが困難になると思います.
みたいですよね.
私は心の底から
そうなんです.私は彼が「偶然」だと言って憚らない現象は複雑系によって必然的に決まる現象であると考えています(とはいっても,私は複雑系の研究をしていたわけでもないのでそんなに詳しくありません).
本当なら,ここまで彼との議論を持ってこれれば良いのですが,なかなか,こんな会話に付き合ってくれるやつはいません.
なのです.
それが,文学であれ,哲学であれ,議論が好きなんですよね.ドイツ人は議論好きだと聞きますが,私もドイツに行ったほうが良いのでしょうか?
かの友人は私にこうも言ったものです,
趣味はいろいろあるんですが,やっぱり学術的な議論が一番楽しいですね.ちなみに,「回路が趣味」というのは,彼に認めてもらえませんでした.「それは仕事」だと.
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...かわたのつぶやき